素人の批評は痛々しい。それでも「笑い」を語りたいんだ。

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テレビ、ずるい説。

8月7日放送の「水曜日のダウンタウン


私はある説に関してモヤモヤした気持ちが芽生えている。

 

今回お伝えしたいのは「汚部屋アイドル、ヤリにいき放題説」の感想。


ではなく、この説に関する「バラエティ番組」というものについての「在り方」に関する個人的意見だ。


ヤラセに加担することを「ヤリにいく」といい、部屋を綺麗にするのも汚くするのも本人次第な為、仕事として普段生活している部屋を汚しにいくのではないかというこの説。


私はこの手の「人が恥をかくドッキリ」が苦手である。理由は単純で「見てられない」の一言に尽きる。


「バラエティを盛り上げたい」「仕事を全力でやり切って次に繋げたい」という若手を踏みにじっているように見えてしまい、楽しく見る事が出来ない。


それは単に私自身が苦手意識があるだけであって観なければいい話だ。

 

実際にこの説は飛ばして観た為どのような内容だったのかは知らない。見ていない番組内容を批判する事に関してお叱りを受ける可能性はあるが、ただ今回の論点はそこではない。


私が言いたいのは「ヤリにいってる人を笑い者にしてる番組は『ヤリにいって』ないのか?」ということである。


これを読んでいる皆様なら覚えているだろう。昨年冬に「水曜日のダウンタウン」内で放送された「モンスターハウス」のくじ引きシーンを。


「恋愛リアリティーショーに安田大サーカスのクロちゃんを放り込んだらどうなるか?」という恐ろしい実験のような企画。


クズっぷりを露呈し、尚反省の色がないクロちゃんの元にひとつの箱が届けられる。
「くじ引きで選ばれた者は脱落者を選ぶ事ができる」


どう考えても脱落者に選ばれるのはクロちゃん一択で、それを避けるにはくじ引きで当たりを引くしかない。その確率は6分の1。


そこでクロちゃんは見事に当たりを引き形勢逆転。まるでデスゲームの主催者のような顔つきに変わりメンバー5人を、そして視聴者の血の気を引かせた。


この衝撃的な一連の流れを見た私の率直な意見は「ヤリにいってないかコレ?」である。


巷でも「台本では?」という意見が流れる中、水曜日のダウンタウンのプロデューサーである藤井健太郎氏はインタビューでこの事についてこう答えている。

news.livedoor.com

 


「想像するのは自由ですけど、それを決めつけたりする人はなんか可哀想な人だなとは思いますね」

 


これを読んで完全に「クロ」だと確証した。もちろん肯定はしてないが否定もしていない、昨年の流行語にもなった「ごはん論法」のやり方である。

hbol.jp


「普通の恋愛リアリティショーとは作り方が逆で、企画じゃなく、クロちゃんっていう現役最強クラスの“キャラクター”ありきでスタートしてるので。その辺のキャラが良い素人なんかとは次元が違うというか」


『クロちゃんっていう現役最強クラスの“キャラクター”ありき』の企画でクロちゃんが落とされる可能性が十二分にあるあの場面はどう考えてもヤリにいかないといけない部分である。


あの段階でこの企画を終わらせる為に用意したとも思えないし、ガチのくじ引きにして6分の1に賭けた神頼みだとも考えにくい。あれは「ヤッた」と考えるのが当たり前の結論である。


水曜日のダウンタウン」という他番組とは一線を画すバラエティの特性上、やらせをせずとも面白く仕上げられる番組だと熱心な視聴者は思っている。


私もその1人なのだが、このモンスターハウスの一件で覆り、その上でヤリにいくアイドルを晒し上げているのを見ると「テレビは偉い」という古臭いの間違った考えを引き摺っているのではないかと思ってしまう。


「テレビ」というものの意見として、こういうものもある。

www.excite.co.jp


この記事では「俺の持論」での発言として取り上げているが、カンニング竹山は他の番組でも同じような発言をしている。


「所詮、テレビは夢の箱。」


話はずれるが、よく宝くじを買う際には「夢を買う」という表現があるが、所詮は当たらなければ意味が無い。実際に大金を手にできなければ夢なんてお金を払って買っても無駄である。


そう考えると、夢の箱は「要らないかなぁ」


私はそんなことを考えてしまう。